プール以外の作品も!レアンドロ・エルリッヒの作品5選解説

撮影:artrat.hatenablog

金沢のスイミングプールを知っていますか?
象徴的な作品で、かなり有名です。
この作品を作ったのがレアンドロ・エルリッヒ。自分自身の認識を疑わせる作品をいくつも手掛けています。
彼の作品はどれも面白く、選び出すのも苦労しましたが、5つ選んで詳しく紹介します!

1. スイミング・プール (Swimming Pool) 1999年
金沢21世紀美術館、日本

この作品は、地上階と下の階で成り立っている作品です。上から見ると下の人がプールに溺れているように見え、下から見上げると水中にいるような光景を体験できます。

深いプールのように錯覚させてしまう水面は実は、透明ガラスにたたえられた、たったの10cmの薄い水の層なのです。
参照: https://www.kanazawa21.jp/data_list.php?d=7&g=30

上と下に分けられた空間が、まるで下にいる人々が水中にいるかのような錯覚を生み出しています。
まるで波打つ水面のように見える天井ーその正体は透明なパネルにたたえられた薄い水の層です。


水の反射が踊るこの青い部屋で、観客は完全に日常から離れた非現実の空間にいることを感じます。
このスイミング・プールの中で、この"トリック"への驚きと理解は、ある楽観的な思考を促すでしょう: 私たちは私たち自身で現実を作り出していて、決してあるがままに受け入れる事はできない、という考え方を。



2. 建物 (Bâtiment) 2004年
徹夜 (La Nuit Blanche ) パリ、フランス

レアンドロ・エルリッヒの「建造物」が最初に作られたのは2004年、年一回のパリのアートフェスティバル、"Nuit Blanche"で、それから日本を含め様々な国で建てられました。

引用: http://www.leandroerlich.art/index.php/2017/05/05/batiment-2004/?v=album

「この作品では、夢が叶ったかのような光景を作りたかったのです: 重力の法則を短い間コントロールするような…
たとえ全ての観客がこの作品を身体で体験しなくても、このユニークな体験の証拠として、写真が残されるでしょう。」(レアンドロ・エルリッヒ)

彼は、「アートに美を定義する力があるとするなら、"観客"が、理想というより、慣れ親しんだ場所のような作品に自由に入り、交流する事が大切だ」と考えたそうです。

アートに住む家の形がそのまま使われているのは面白いですね。
Batiment シリーズの全てのバージョンは、建てられた地域の建物に馴染むように作られています。日本に建てられたものもありました。



3. エレベーターの迷路 (Elevator Maze) 2011年
ショーン・ケリー・ギャラリー (ニューヨーク、アメリカ)
日常的であるはずのエレベーターが、アーティストの手によって不気味な迷路へと変身しました。
エレベーターの中は部屋がいくつも続いているかのような見た目をしていますが、その向こう側は鏡だったり、他人が目の前にいたり、当たり前と思っている先入観を覆されていくようです。

この作品は、エレベーター元々の機能と周りにあるべき環境を取り去ることで、人それぞれのもつ物語を強調しています。観客が見つけるレアンドロの視覚的質問への答えは、観客自身のそれぞれの物語の主人公たらしめるのです。

あるべき姿を微妙に変化させ、私たちの中の「当たり前」を裏切ることで、社会の絶対的ルールと、それを決める権威への抵抗を表しているそうです。

参照: http://www.leandroerlich.art/wp-content/uploads/2017/05/elevator-maze-1.jpg

「エレベーターとは、機能的な物でありながら、その中の生命は一時的に停止させるように思えます。
声や音のレコードが乗っている時の不快感を緩和する事もあるでしょうが、私たちはその空間で自身を避けることはできません。従って、私たちは自分自身のサルトルの部屋を体験することになります。私たちは誰でもなく、何処にもおらず、どの人でもあり、何処にでもいるのです。」

サルトルの部屋: サルトルの戯曲「出口なし」に言及していると思われる。
「出口なし」: 地獄に落ちた三人が罰として永遠に一つの部屋に閉じ込められる話。その部屋には何も無いが、三人それぞれが互いを苦しめ、拷問者のような役目を果たすことになる。



4. 窓と梯子。助けるには遅すぎる※ 直訳(Window and Ladder. Too Late for Help) 2008年

Prospect 1, New Orleans
窓と梯子 の最初のバージョンは、ハリケーンカトリーナが去った後のニューオーリンズビエンナーレで発表されたそうです。

空に浮かぶ家の残骸、その窓に立て掛けられた梯子…
台風で家々が破壊され、「存在しない」ことの存在感に衝撃を受け、このシュールな光景を想像したそうです。
「消失を追悼するような意図で制作した」というこの作品からは、失われた部分の寂しさが感じられ、筆者はシンプルな形状ゆえに追悼碑のようだと感じました。

窓と梯子 は矛盾していながらも重要な、二重の意味での不可能を表しています。
人間が劇的な場面に耐える事が出来ないとしても、それでも彼は抵抗するのです。
窓と梯子は、ロミオとジュリエットの物語も連想させるものです…


5. Single Cloud Collection, 2012
Ruth Benzacar ギャラリー
ブエノス・アイレス、アルゼンチン

ゲージの中で浮かんでいるかのような雲は、立体的に見えるように重ねられた、12枚の印刷されたガラスパネルで描かれています。
屋外の、それも手が届かない空にあるはずの雲が室内で展示されているのはおかしな感覚です。

ケージのおかげでら雲がまるで貴重な標本として並べられているようにも見えませんか?
昔環境についての番組で見た、このまま海の環境破壊が進めば水族館に生きた魚はいなくなり、標本だらけになるかも!という警鐘を思い出しました。


参照: http://www.art-vibes.com/art/leandro-erlich-collection-de-nuages-mostra-bologna/

意表をつくものであり、建築の一部である雲 は自然の繊細な美しさと変化する能力を思い出させ、環境への影響を変えようと意識させるでしょう。

このアーティストは繰り返し、物の見方を考え直させます。本物のマジシャンのように、何かの「不可能」への疑問を抱かせるのです。
感覚的な観察によって異常な立体は本物に見えますが、究極的には幻でしかないのです。
mymodernnet.com

環境破壊する人間の建築物の光景の中に、酸性雨や温暖化などの環境変化が如実に現れる雲があることは、我々の住む街が自然に直結しているのだということを教えているような気がしますね。


http://www.leandroerlich.art/#Works


https://mymodernmet.com/leandro-erlich-single-cloud-collection/