建物の孤独と共鳴する…リー・キットが原美術館とコラボレーション

今回の記事は原美術館での展示されていた

リー・キットにとって日本の美術館初の個展

「僕らはもっと繊細だった。」

個展全体を見渡しながら作品背景を読み解いていきます。


(リー・キット「僕らはもっと繊細だった。」

会期    :2018年9月16日〜12月24日          )

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リー・キット(李傑/ Lee Kit) 

香港出身で現在は台北を中心に活動。香港は中国に返還されるまで英国領、台北もかつて日本の植民地だった場所で、複雑な歴史背景も作品に影響を与えているのかもしれない。

2013年の第55回ヴェネチア・ビエンナーレに香港代表として参加した際はウォール ストリート ジャーナル紙に「必見の展示ベスト5」にとして取り上げられるなど、国際的にも注目を集めた。

現在は絵画やドローイング、日用品や映像も組み合わせたインスタレーションを中心に、国際的に活動。

リーの作品の中には、


・独り亡くなった数日後アトリエで警察によって発見された友の事を思い出しながら、煙草を1時間吸い続け、灰皿を満たす2008年のビデオ作品 ”Filling up an ashtray” (*4)


・格子柄を描いた布をテーブルクロスやカーテンとして実生活の中で使用し、一人の日常生活の染みついた布を使った作品 (2004年の七月一日の香港返還記念のプロテストで旗としても使った)(*5)

などがあり、他の作品でもよく使われる格子柄の布達は色と模様を持った抽象画であり、日用品という"具象"でもあるという、新しい絵画の概念を生み出している。(*3)


   

展示空間そのものも作品を構成する大切な要素の一つであり、 "ArtReview Asia" の記者Anthony Yungのインタビューによると

"日用品を空間に配置する事で ー 恐らくより正確に言えば、空間を日用品の間に配置することによって (*6)"、

画家としてこれらの作品を作ったとも言える。

 

原美術館という空間

今回の個展は、リー・キットが以前同美術館を訪れた際(画家ミヒャエル・ボレマンスの展示)、建物自体とその空間に惹かれた作家からの希望で実現したそう。原美術館は"空間全体がカンヴァスのよう"で、

"ポジティブでもネガティブでもない孤独"

がそこにはあり、それを

"人間的なものとしてつかまえたかった"

のだという。(*2)

この展示は一人で10日間にわたり毎日7時間ほど、この美術館の空間、雰囲気に添って制作された。リー氏はこの時間をかけた制作方法を、

その空間に既に存在するもの、原美術館の"孤独"にアーティスト自身の感情が溶け合い、”透明になって消える”までのプロセスである、

と表現し、土地や建物など展示場所に寄り添うサイトスペシフィックな(この場所特有の)作品である。原美術館自体、元は私邸であり孤独な雰囲気のある一方親近感の湧きやすい設計にもなっている。原美術館によって初めて表現され得るリー・キットの作品が見られるのではないだろうか。

 

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「リー キット 繊細だった」の画像検索結果

「僕らはもっと繊細だった。」リー・キット (2018). (原美術館, 2018). 撮影:武藤滋生 ⓒ Lee Kit, courtesy the artist and ShugoArts (*3)


プロジェクターと光

一階展示室には上画像の、メインビジュアルにも選ばれた映像作品があった(木の床と足が映ったもの)。ここではプロジェクターが映像投影だけでなく、日用品、絵画や壁の一部を照らす光源そのものとしても使われている。

また二階の一つの部屋では、樹木に覆われた2x2mの窓から半透明のスクリーンで隔たれた自然光が入り、窓枠で切り取られた四角い光は右奥の壁面にプロジェクターの投影で繰り返されている。光を活用し、訪れる時間やその日の天候によって異なる見え方の異なる作品となっていた。

プロジェクターの投影の角度と窓からの光も関係しあっている。フレームの寸法と観客が投げる影の位置は偶然出来た角度がきっかけだそうだ。真正面から光を当てる予定だったが退屈に見え、足で軽く動かしてみたところしっくり来たと言う。作品の自然な雰囲気にも通じるエピソードだ。

制作中に偶然作られた角度と、原美術館という建物が無くては出来上がらなかった光の演出は制作のたびに変化を免れないインスタレーションという作品形態の中では重要な要素だろう。

 

作品の一部としての音

二階の展示で耳に残る扇風機やプロジェクターの音についてリーは、

満足いく生活を送っていても尚言葉で言い表せず、口に出せない感情というものが、ふと川辺の音や吠える犬の声を聞いた時に

"自分の中で『ああ、私の思いを語っている感じがする』と感じる、うまく表現できていると思う音に出会う瞬間があります。そんな私が自分で感じるリアルな瞬間をこの部屋では再現してみたかったんです(*5)" と言う。

普段は注意しなければ聴き逃してしまうような音さえも言葉にできない感情を表現する役割を担う。天井が低く音が反響しやすい原美術館ならではの音でもある。

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「僕らはもっと繊細だった。」リー・キット (2018). (原美術館, 2018). 撮影:武藤滋生 ⓒ Lee Kit, courtesy the artist and ShugoArts (*5)

 

展示の中の文

文 と 英語

壁の映像に現れては消える文たちは、リーから見た"今の政治的な状況を語った"ものだそうだ。

字幕に英語が選ばれているのは国際的な標準言語という理由とは別に、美術館という場所自体が英語圏由来のものであり、多くの洋風建築がGHQに接収されていた戦前日本の示唆とも捉えられないだろうか(*1)。そう考えるとほとんどが台北で完成されたという絵画たちも”日本と西洋の入り組んだ美術館”を強調しているように見える。

また作家によると、彼の作品は観客の中の何かを呼び起こす引き金であるという。当然思い起こされるものは人それぞれに違うだろうが

その違いは各々の過ごしてきた環境から来るものであり、部分的にはリー・キットの作品に示唆されるような、個人の"政治的な状況"の違いでもあるのだろう(*5)。複雑な政治の歴史がある土地から来た彼の作品は日本人が忘れがちな視点を様々な材料で問いかけてくれる。

 

文 と 孤独

美術手帖の記事が、彼の作品は

 ”無防備な手足が、親しみのある製品が、そして途切れがちな言葉がとどまりすれ違う停留の場"であり、その"孤独な停留の場こそが…(中略)…リー・キットの絵画だ"

と評価している(*2)。

字幕やカップの模様として現れる言葉の中には"Hey"という間投詞や"Shave it Carefully"のように、一方的な言葉は投げ掛けられても返答は現れず、映像との関連も見えない。展示空間で始めて観客にも共有される孤独な文は我々に返答を考えさせているのかもしれない(*5)。

タイトルにも「僕ら」という人称代名詞が使われているがそれに観客が含まれるとすると、一人称でも二人称でもない「僕ら」は作品を体験しながら、作品の光やカップ、格子柄や文字と共に作品の一部となっているのかもしれない。

 

シチュエーションとしての作品

リーは自身の展示をシチュエーションと呼んでいるが、絵画や映像、空間の全てと、その要素同士の関係性も含めて作品として捉えているのだろう (*2)。シチュエーションという言葉には立場、状況、雲行きなどの意味がある。見え方、受け取られる意味、そして作品自体が置かれる"シチュエーション"というのも、美術館を訪れる時間や天候、光の加減によって、そして観客それぞれの立場のように、展示以外の要素でも変化していく。その違いに着目して作品を見られるのも面白い。

 

この展示作品のタイトル

「僕らはもっと繊細だった。」”We used to be more sensitive.” の最後に打たれている句点は前後の文があるからこその区切りではないだろうか? (*2) その場合このタイトルが指し示すのは、 「繊細だった」過去から繋がる、観客が立つ原美術館の空間の、またそこから続いていく未来への示唆とも捉えられる。

作家特有の空間、光や文の使い方、そして建物と作品の孤独が織りなす一つの絵画としての展示空間。その中では現在に至るまでの間に失われてしまった繊細さを見つけられるのかもしれない。

 

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参考文献

*1 - 清水穣. “両者に共通する闇。清水穣評 リー・キット「僕らはもっと繊細だった。」展とウィリアム・ケントリッジ演出オペラ『魔笛』”. 美術手帖 (2018-11-27). https://bijutsutecho.com/magazine/review/18834, (参照 2018-12-18)

*2 - 福尾匠. “時間と記憶を浮かび上がらせる、映像インスタレーション展。福尾匠評 リー・キット「僕らはもっと繊細だった。」”. 美術手帖 (2018-11-1). https://bijutsutecho.com/magazine/review/18734, (参照 2018-12-18)

*3 - “リー・キット「僕らはもっと繊細だった。」”. Hara Museum, https://www.haramuseum.or.jp/jp/hara/exhibition/243/, (参照 2018-12-18) 

*4 Stephanie Hsu. “A Report on Lee Kit“. Asia Art Archive in America. (2018-12-13). http://www.aaa-a.org/programs/a-report-on-lee-kit/, (参照 2018-12-18)

*5 - Noriko Ishimizu. “リー・キット個展「僕らはもっと繊細だった。」”. (2018-10-6). 

http://www.shift.jp.org/ja/archives/2018/10/lee-kit-we-used-to-be-more-sensitive.html, (参照 2018-12-18)

*6 - Yung, Anthony. “Lee Kit”. ArtReviewAsia. (2013). https://artreview.com/features/feature_lee_kit/, (参照 2018-12-18)