久留米成田山ひとり旅 大人でも面白かった!

久留米にそびえ立つ高さ62メートルの巨大な慈母大観音像といえば、知る人ぞ知る成田山

 

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頭からつまさきまで真っ白かと思いきや、建物に負けず劣らずの大変豪華な装飾を身に付けています。

成田山HPによると

"額には直径30cmの純金の板に3カラットのダイヤモンドが18個"
"胸の瓔珞には直径10cmの水晶(2000カラット)とその周囲には56個の翡翠が散りばめてあります。"


直径30cmの金!ダイヤモンド18個?!
豪華すぎてもはやよく分かりません。近くで見たい…。 

 

慈母大観音様に会うにはまず、大きな山門をくぐります。こんな大きな寺は見たことがないので最初は鳥居かと勘違いしました。

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超豪華な門は、西遊記に出てきそうな感じでわくわくしますね。階段も全て緑色の岩石から出来ています。

階段も一段一段、中心に蓮などの浮き彫りが彫られていました。
階段から振り返った光景。

 

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俗世を見下ろす仙人みたいな気分になれます。
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像の横にある茶色い建物は「平和大仏塔納骨堂(極楽殿)」。こちらも高さ38mと巨大な建物です。
大仏塔は日本でここにしかなく、世界でも2基目だそうです。しかも、インドブッダガヤ大仏塔と同じ型。仏教の本場インドのものと同じ建物が見れるなんて貴重ですね!

 

建立を決めたのは久留米分院の初代住職であり成田山系寺院初の女性住職、金子妙福師。

※ 久留米の成田山は千葉県の成田山新勝寺の分院です。新勝寺の始まりは900年頃、弘法大師空海が彫った「不動明王像 (身代わり不動尊)」を、朱雀天皇の願いで寛朝大僧正が奉安したのがきっかけといいます。) 


"昭和53年、初代住職・金子妙福師の発願により5年の歳月を掛け、昭和58年に建立されました。高さ62メートルあり、建立当時は日本一高い観音像でした。"
霊夢に慈母大観音様が現れたことをきっかけに発願しました。お名前の通り、母親の子どもに対する愛情のごとく、人々への深い慈愛を表している菩薩像です。
家内安全・子授け・子供無事成長・水子供養等々の願いを成就する"と言われているそうです。(成田山HPより)

 

さて、ざっと紹介したところで観音様のなかへ参ります!

 

慈母大観音像の中へ

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入って左手にずらーっと仏教関連の像が並んでいました。大人から子どもまで、仏様の教えを聴いている光景のようです
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螺旋階段を登っていきます。結構長いので疲れました。でも幅がかなり広いので、狭い螺旋階段のように目が回るキツさは無かったです。
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展望台などはありませんが小さな展望孔からちょいちょい景色を覗けます。雲仙や有明海など、有名な地方を遠目に望むことができました。
下の方は工事中のため、足場が見えました。小さな窓が定期的に設置されていて、登るほど見晴らしが良くなります。
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ネックス部分、と書かれた窓からは、像の一部と思われる白い出っ張りが!

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外から見ると観音像の喉のあたりに四角い窓らしきものが見えるので、首あたりにいる、子どもの部分かもしれません。


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お賽銭箱も定期的にありました。


最後の階段は肩の辺り。あの巨大な像の肩にいると考えると、ハラハラします。
その1番上まで登ると、千体仏様が安置されていました。階段途中にもあったお賽銭箱のように、水子(流産の子)供養、先祖供養の意味があるそうです。
私も来世の幸せを願ってお参りしました。
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お賽銭箱のラスボス

 

地獄館

最初、見るのは螺旋階段だけだと思っていたのですが地獄をテーマにした地獄館というお部屋がとても興味深く楽しかったです。展示物も、あまり知られていないのが勿体ないような豪華なものが沢山あって驚きました。

 

最初に閻魔様の動く像が出迎えてくれるのですが、その手の近くに手形のついたボタンがあり、それを押すと恐ろしいことに、あなたがどの地獄に落ちるのかを教えてくれます。イヤーー!!

薄暗いせいか前の人は気づかず行ってしまいましたが、地獄ガチャなんてなかなか体験できません!(地獄に落ちなければ、)

これを読んだ方は忘れないで押してくださいね。因みに私は叫喚地獄でした。

 

叫喚地獄(畜生地獄)

 

現世で罪なき動物を己の悦楽の為に、虐待の限りを行った罪人が堕ちる地獄。” だそうです。(画像はhttps://www.kurume-naritasan.or.jp/jigoku/より)

そりゃー地獄行きですわ。

 

閻魔様を通り過ぎると、地獄に落ちた人間の等身大の姿が…!

それを苦しめている魔物がいわゆる鬼の姿ではなく、人間と、猪や狼やネズミが混じったような見たこともない姿で、それがなんともリアルな感じがしました。

作った人、本当に地獄に行ってきたのでは...?

 

そのリアルな地獄レプリカは数々の地獄の名前に合わせて作られており、どんな罪を犯した人がどんな罰を受けるのか、ていねいに説明されていました。

大人でも大変勉強になりました (むしろ子供には怖いかも)。

お化け屋敷のような怖さはありませんでしたが、出口に着くころには地獄への恐怖でいっぱいでした(笑)。

 

地獄をめぐった後は、巨大な観音様のご利益にあずかりましょう。最後に地獄に行ってしまうと後味が悪いので気をつけましょう!

 

成田山久留米分院は、慈母大観音様の姿だけでなく、その中の展示も素晴らしかったです。

地獄や仏教に興味がある方はとても楽しめるはずです!

アルチンボルドの生涯、逸話をかんたん解説!だまし絵を描いた宮廷画家

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画像1. ジュゼッペ・アルチンボルド(1590-1591) ウェルトゥムヌスとしての皇帝ルドルフ2世


果物や魚、植物の絵…かと思いきや人間の顔にもみえる!ジュゼッペ・アルチンボルドは、そんな絵を、16世紀イタリアというバリバリ写実絵画の地で描いた変わり者です。

異様な作風を持つアルチンボルドですが、実はデザイナーのキャリアも持ち、皇帝にも気に入られていた宮廷画家でした。

優秀な仕事人だった彼ですが、宮廷にいるのに貴族を批判した疑惑も…。

そんな逸話もふくめ、ジュゼッペ・アルチンボルドという人物と作品のひとつをさくっと紹介!

 

じつはお坊ちゃんな出自

ジュゼッペ・アルチンボルド/ Giuseppe Arcimboldo (1527 - 1593)

後に宮廷画家となったアルチンボルドは有力な一族の出身でした。父のビアッジオ(c.1518-c.1551)は宮廷画家ではありませんでしたが、公認の画家でありドゥオーモのファブリカ(ミラノ大聖堂建設の監督を担う組織)のための作品を描いた画家でした。親子2人で共作も描いたと言います。

人生のほとんどをハプスブルクに仕えたため、生まれたのはミラノですが、作品はほぼハプスブルクで描かれたものたちです。[2]

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画像2.ベルナルディーノ・ルイーニ (1490-1533)ビアッジオの肖像画

 
 
順風満帆デビュー

地位の高い一族の縁もあり、かのダ・ヴィンチの主要な弟子たちと美術を学んだあとは21-22歳の若い頃からステンドグラスのデザインを始めました。ミラノ大聖堂のステンドグラスのデザインも手掛けたといいます。31歳のときにコモ大聖堂のタペストリーのための下書きを務めた『聖母の御眠り』は、今もなお目にすることができます。[2]

順調にキャリアを積んでいた事は分かるのですが、これらのデザインに、あの有名な肖像画のような独特さは見えないというから驚きです。[3]

《聖母の御眠り》( Dormition of the Virgin) 1558年 アルチンボルド下絵 タペストリー423 x 470 cm, コモ大聖堂

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画像3.ジュゼッペ・アルチンボルド下絵(1558)聖母の御眠り

 

職業は?

1567年、35歳のころにはハブスブルグ皇帝フェルディナンド1世につかえる宮廷画家になりました。

そこでは宮廷の人々の肖像画、美術品のカタログ作り、パーティーのデザインなど、芸術分野とは言え様々な仕事を担当していました。

宮廷に仕えたこの頃に、植物などを組み合てたような肖像画を描き始めました。四季というシリーズもそのひとつです。[3]

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画像4.ジュゼッペ・アルチンボルド.1563. 四季

 

意味のある動物チョイス

この四大元素というシリーズは大気、火、大地、水という文字通り自然の四元素を主題としたものですが、ここでも騙し絵スキルを発揮しています。

 https://www.futilitycloset.com/wp-content/uploads/2010/09/2010-09-20-essential-characters.jpg

ttp://commons.wikimedia.org/wiki/File:Arcimboldo_Aire.jpg

 

顔を構成しているものは面白さだけを追求しただけでなく、人物のイメージと繋がる物を選んでいます[3] 。鳥が組み合わさった「大気」に描かれた鷲と孔雀はハプスブルク王朝の象徴です。

薪や武器からできた「火」でら胴体の上の二つ頭の鷲は神聖ローマ帝国を象徴し、二つの大砲はトルコ軍との戦いにおけるハプスブルク軍の強さを連想させるものでした。

陸の動物でできた「大地」のライオンと羊もまた、ハプスブルクの王朝のシンボルとなっています。

アルチンボルドパトロン(画家の支援者)である宮廷の人々を喜ばせ、絵とハプスブルクとの永遠の絆を願ってこれらのシンボルたちを取り入れました。

 


注目すべきはこれだけではありません。動物園や写真がある今ならまだしも、16世紀という昔に、こんなに沢山の動物をどうやってリアルに描けたのか、不思議ではありませんか?

外国や地域の動物たちをこんなにも詳細に描けたのはプラハという街のおかげでした。当時のプラハには象やライオンなど、世界中の動物たちが集められ、文化の中心となっていたのです。

アルチンボルドも本物のライオンを見つめながら描いたのでしょうか。描かれたものから時代背景が伺えるのも面白いですね。

 

戦争で失われた絵

そのシリーズを最初に公にしたのは1569年で、年初めに皇帝マクシミリアン2世に公式に捧げました。

残念ながらプラハの包囲戦の影響で破壊されたり、スクェン人の戦利品として持ち去られてしまったりと残っている作品は多くありません。

しかしこのシリーズは生前かなりの人気を博したことは、似た肖像画もいくつも残す事からも分かります。[3]

 

宮廷画家なのに貴族を批判?

 司書("The Librarian")という肖像画では、学習室のためのカーテンや、掃除に使われた動物のしっぽなど、その時期の本の文化を象徴する物たちで構成されています。wiki[5]しかしその絵は公開されると、本の文化に親しみのあった学者たちの中には、その絵は学者をバカにしているではないか、という人たちもいました。f:id:artrat:20210330230354j:image画像5.ジュゼッペ・アルチンボルド(1566)司書 97x71cm

 じつはその非難は真実で、裕福な人々のとある習慣を咎めるという意図も隠されていました。

この司書、持っている本をひとつを除いて全て閉じていますよね。しかも、その一つは頭の上で、自分じゃどうやっても見えない位置…。

具体的な批判は見つけられず、これは作者の憶測ですが、違和感の一つはここではないでしょうか。

当時の裕福な人々のなかには美術品などの代わりに本をコレクションする人々も居たようです。本を買えない人もいる中、その知識を無駄にしている人々をよく思わなかったのかもしれません。本を公開せず、読むというよりもコレクションにする目的で買っていた裕福な人を批判した絵でもありました。

一見すると面白い騙し絵ですが、身分の高い人々への風刺でもあったのです。宮廷という、貴族だらけの場所に居ながらそんな風刺を表現したのは、かなり肝が据わっていますね。[1]

 

死後、貴族になる

上記のような小さな事件もありましたが、彼の献身的な仕事への評価が変わらなかったようです。

1593年、66歳になるまで宮廷画家を務め続け、その一年前にも神聖ローマ皇帝ルドルフ2世の肖像を完成させました。この絵は今なお代表作の一つとされる程で、最晩年にもかかわらず衰えを感じさせない素晴らしさです。

彼の生涯にわたった素晴らしい仕事を評価した皇帝は、アルチンボルドと彼の家族に貴族の位を与えるという、最高の名誉でもって称えたのです。[3]

 

アルチンボルドはステンドグラスからパーティ演出まで、さまざまな分野で活躍しながらだまし絵を描き続けました。当時でもこのユニークな作風は大人気で、彼をまねて似たような絵を描く画家が何人もいたほどです。

死後は長い間忘れられてしまいましたが、ダリなどのシュルレアリスムの時代、19〜20世紀にも再び、新しいアーティストに大きな影響を与えました。

時代を何年も先取りしていた、まぎれもない天才だったのです。

 

参考資料

[1] Elhard, K. C. (2005). "Reopening the Book on Arcimboldo's Librarian". Libraries & Culture. 40 (2): 115–127. doi:10.1353/lac.2005.0027.

[2] giuseppe-arcimboldo.org (2002-2017) Giuseppe Arcimboldo The Complete Works. Retrieved from: https://www.giuseppe-arcimboldo.org/ [2021年3月31日アクセス]

[3] セッケル, アル (Seckel, Al)著 坂根厳夫訳(2008) 錯視芸術の巨匠たち: 世界のだまし絵作家20人の傑作集 創元社 p.p.19 - p.p.20

 

 

画像引用元

画像1. ジュゼッペ・アルチンボルド.1590-1591.
ウェルトゥムヌスとしての皇帝ルドルフ2世.
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ウェルトゥムヌスとしての皇帝ルドルフ2世像#/media/ファイル%3APorträtt%2C_Rudolf_II_som_Vertumnus._Guiseppe_Arcimboldo_-_Skoklosters_slott_-_87582.jpg

画像2.ベルナルディーノ・ルイーニ.1490-1533.
ビアッジオの肖像画.
https://www.britishmuseum.org/collection/object/P_1895-0915-767

画像3.ジュゼッペ・アルチンボルド(下絵).1558.聖母の御眠り.https://cardiac.exblog.jp/26946645/

画像4.ジュゼッペ・アルチンボルド.1563.
四季.
http://aworldofartthroughvisualexploration.blogspot.com/2012/03/giuseppe-arcimboldo.html?m=1

画像5.ジュゼッペ・アルチンボルド.1566.司書
https://www.wikiart.org/en/giuseppe-arcimboldo/the-librarian

 

 

長崎平和公園だけでも楽しい?所要時間は?一人観光スポット

長崎の平和公園は、原爆の爆心地と長崎原爆資料館のそばに位置しています。形式的には大きな公園なので入場料などは不要です。(公園の駐車場は30分100円です。)

電車の駅やバス停のある通りからは公園に続くエスカレーター、階段があるので、徒歩、電車、バス等でも行きやすいです。

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エスカレーターと階段です。

登っていくとそのまま平和の泉が見れます。f:id:artrat:20210315223519j:image

その先が真ん中と左右に道が分かれていて、世界各国から送られた平和を祈る彫刻群がそこかしこに置かれています。

(アルゼンチン、オーストラリア、ブラジル、ブルガリア、中国、チェコ、ドイツ、イタリア、オランダ、ニュージーランドポーランドポルトガル、ソヴィエト、アメリカなどなど)


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右上:無限

男女が手を取り合っている様子は人類の平和と協調を表しています。

左下: 太陽と鶴

顔は犠牲者の顔を表し、円は太陽を、三角は折り鶴を象徴したものです。

右下:平和の碑

ブラジルの国の形をした石に平和を祈る文字が刻まれています。


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上の作品がとても芸術的で何枚も写真を撮ってしまいました。穴の形は植物でしょうか?公園のサイトによると、マントは平和な世界に貢献した人々の協力と、人々の保護を象徴しているそうです。


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上の像はオーストラリアから送られたものです。オーストラリアの人々もオーストラリアとマラリンガ、その他の島々でイギリスによる原爆テストの被害を受けたそうです。

木はpiti というお皿がなる木だそうです。

食べ物、水、赤ちゃんを運ぶために使われる器で、平和と協調とために資源を家族、周りの人々や国々に分けるという精神を象徴しています。

そのまま進むと、原爆で炊事用の煙突を除く全てが破壊されたという、長崎刑務所浦上刑務支所跡が見えます。建物の基盤部分がそのまま残されています。


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建物を囲んでいた鉄筋コンクリート塀の名残があります。平和祈念像にたどり着く前に左手に小さな階段があり、そこを降りた公園の外側です。


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彫刻が沢山あり、屋外博物館のような感覚で回ることができました。写真では分かりにくいですが、平和祈念像の巨大さも圧巻でした。

駅などのある街側から階段で入りやすく、修学旅行などさえ無ければ三密も避けられると思います。

(※私が行った時は帰り際の11時頃に学校の大集団が来たためタイミングにもよります。朝10時半頃までは少ないと思いますが)

付近に行く予定の方は戦争の残骸、各国の平和への祈りをその目で確認されてはいかがでしょうか。

Statues and History of Nagasaki Peace Park

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Nagasaki Peace Park (Heiwa Koen) is located by Hypocenter and Nagasaki Atomic Bomb Museum.

It is basically large park, so you don't need any fees except parking fee (100yen /30min)

If you visit by walk, train or bus, you will enter from the left corner on the map, using slope or  stairs that is a bit long but with beautiful flowers. 
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The flowers directly lead you to Fountain of Peace.

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There devide three ways to the left, right and straight, all show a lot of statues including those sent by a variety of countries.

(including Argentina, Australia, Bulgaria, Brazil, China, Czech, Germany, Italy, Netherland, New Zealand, Poland, Portugy, Soviet, the United States etc)

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This was my favorive

"KOROWAI RANGIMARIE, THE CLOAK OF PEACE" is a gift from New Zealand.

"THE CLOAK SYMBOLISES THE UNITY OF THOSE COMMITTED TO A PEACEFUL WORLD AND THE PROTECTION OF THOSE WITHIN ITS EMBRACE."

Reference: link

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The statue from Australia is a tree od dish (piti). It represents the spirit of sharing resources.
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upper right: "Infinity"

Male and female is taking hands for the peace and cooperation of the humanity.

lower left: "Sun and Crane"

Face of the victims, the sun symbolized by circle, and triangles that represents origami crane.

lower right: "Memorial of Peace"

Text saying "pray for peaae" is engraved on the statue shaping Brazil.

 

Keep on walking, and you can see the immense "Peace Memorial Statue" on the center street.

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Before you reach the statue, you will see the ruin of the former Urakami Branch of Nagasaki Prison. 
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Part of the wall also remains around the park. You can see it if you walk down a small stairs left to Peace Statue.

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The "Peace Statue".

Sorry about the tiny size, but it did have a massive presence. I hope you take a greater picture.

 

It was like an outdoor museum. It will be good opportunity to see the real ruin of the war and the pray for the piece by a lot of countries.

 

穴場かも?日田豆田町は一人旅に最適だった

2020年の晩秋、諸用で豆田町にお邪魔しました。行ってみると人が多すぎず、程よく回るお店もあり、一人旅にはうってつけではないかと思ったので、ご紹介します。

※不要不急の外出はできるだけ控えましょう。行く予定のある方はどのお店でもマスクをつけ、感染症対策は徹底してください。

当時GoToトラベル終了前だったのですが、それでも大半のお店が閉まっていました。通行人も、10分に1人通るかいないか。

花月川から通りに入ってすぐにある、大量の雛人形が展示される「天領ひな御殿」に行き、お土産に日田醤油を買って帰りました。味噌や醤油などのテイストが豊富で、味噌汁の試飲もありました。

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天領ひな御殿は、日田醤油の店内にあります。有料だからかお客さんはあまりいませんでしたが、リカちゃん人形版の雛人形や、結婚式、かぐや姫などテーマに沿った人形があり面白かったです。

雛人形ではありませんが、「大木平蔵作 能人形」というものが雰囲気があり、格好良かったです。

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こちらだけでなく色んなポーズや衣装もありました。表情がにこやかで、どこか可愛らしさもあります。

日田醤油には300円ほどの味噌ソフトクリーム、醤油ソフトクリームもありました。こんな味、ここで無ければなかなか味わえませんよね。

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出典元: 日田醤油「天領ひな御殿」のソフトクリームのご紹介★

昼食は 蕎麦屋、草八でいただきました。小腹が空いた程度だったので、ミニそばを頼んだのですがめちゃくちゃ安かったです。(すいません。次はもっと頼みます)

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通りの終わりの方に見つけたケーキ屋も寄りましたが、200円前後で驚きの安さでした!しかも普通に美味しかったです。

他にもいろんなお店を見ましたが、どれもお安いのに満足のいくサービスでした。

 

特に川に近い側に旭窓本舗という大きな酒屋があったのですがレアなお酒もあり、お土産探しに持って来いでした。

人が居なかったので落ち着いて楽しめたのも勿論ありますが、その中で良いお店を見つける楽しみは、格別でした。

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時間が余ったのでぶらぶらする事に。お店や施設もあまり空いていなかったので地図で目についた月隈公園へ。

 

下図は公園にあった地図ですが分かりやすいので掲載。赤枠の中が旭窓本舗や雛壇のあった大通りで、そこから花月川の方へ歩いて15分程度だったと思います。
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軽トラの進む方向です。到着すると無料駐車場がありました。車で行ける方は町に行く前にここで停めた方が良いかも。ちょっと歩きますが。

普通の公園の先に城壁や城っぽい塀がありした。
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へえ〜大きな城だったんだな〜と思いながら進んでいると、不気味な違和感に気付いてしまいました。

土が剥き出しの崖に人が入りそうな大穴が幾つも幾つも空いているのです。入る時は気づきませんでしたが、入り口の方から続いていました。勿論歩く先にも続いています。f:id:artrat:20210308000235j:image

まあ、その正体は古墳時代の墓跡という事で、勝手に血みどろの歴史を想像した私は「なーんだ」とホッとしました。

とはいえ暗いのが苦手なのもあり、穴という時点でもう怖いんですよね。安心ついでに、穴の先へ進んで撮ろうとしましたが出来ませんでした。

写真は撮れませんでしたが、私が冷や汗かきながら辛うじて入れた穴は、もう一つの穴と繋がっていてその先はただの石の壁でした。地面も枯葉とペットボトルしかありませんでした。

 

大した場所では無いと思い、震えながらスマホを構えましたがやっぱり怖くなったのでダッシュで飛び出ました。笑ってください。


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入り口しか取れなかった人です。
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しかし、意味深にお地蔵さんや石碑がいくつもあるのも恐怖の要因だったんですよね。恐らく古代の人々を鎮める為でしょうか。

城跡でお地蔵様を見た事がないし、古人とは宗教も違うだろうし、という理由から確信は持てませんが。

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横穴と睨めっこながら進んでいると、そこに階段があるので、登りましょう。大きなお墓でもあるのかと思いましたが、先は神社と城跡でした。

横穴から折り返すように階段を上がると左手に神社が見えます。お参りして振り返ると、よくある石を積んだ城壁の横に階段がありまして、登ると素晴らしい見晴らしでした。

 

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右の縦に伸びた大通りが豆田町の商店街です。

建物に高さ制限もあるのかもしれません。周りの建物が低く、城下町を見下ろしている感覚を一人占めできました。

遠くの山を邪魔するものが何もありません。雲のコンディションも最高で、とても美しい眺めでした。

暗闇が怖くなければ、全体的に落ち着きながら楽しめる場所だったと思います(笑)。落ち着いて一人旅がしたい貴方、無害なはずの横穴の恐ろしさが気になる貴方は、コロナが落ち着いた時の旅行候補に入れてもいいかもしれません。

中宮寺と広隆寺の弥勒菩薩の違いをわかりやすく解説!

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今回紹介するのは、広隆寺弥勒菩薩半跏思惟像(宝冠弥勒)と、中宮寺の菩薩半跏像(寺伝如意輪観音)です。

歴史の教科書などでどちらか一方は絶対に見た事があると思います。

しかしこの2体、ポーズがあまりにそっくりなために見分けがつかない、または、こんなに似ているのに微妙に違うのは何なんだ、という方もいらっしゃるのではないでしょうか。そう言う筆者もその一人でした。

一時期、像のポーズを真似て瞑想の習慣を作っていたほど好きな像なので、気になって調べまくったこの2体の像の違いを、まとめて一気にご紹介します!

 

弥勒菩薩とは

弥勒菩薩とは、お釈迦様が亡くなって56億7千万年後に、お釈迦様が救済できなかった生きるものすべてを救うために現れると言われている、未来の仏様です[4]。つまり今は修行中の身であり、まだ仏様ではないので菩薩様です。

その弥勒菩薩が未来の救済について考え瞑想されているポーズで現されます。このポーズを、片足を組んで(半跏)瞑想している(思惟:しゆい)ため、半跏思惟像と呼びます。


実はこのポーズの像は沢山あるにも関わらず、ほぼ全ての像には弥勒菩薩だと断定できる証拠がありません。ですが、大阪の野中寺の弥勒菩薩半跏思惟像には「弥勒」という文字が掘られているほか、台座に弥勒菩薩の修行する兜率天の下の須弥山が彫られている半跏思惟像もあり、恐らく全て弥勒菩薩であろう、と考えられています[8]。

 

中宮寺の半跏思惟像 (なぜ如意輪観音?)

現在福岡の九州国立博物館で展示が開催されていることもあり、中宮寺の半跏思惟像から紹介します。

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この像は弥勒菩薩像に頻繁に見られるポーズをとっているにも関わらず、如意輪観音とも呼ばれています。呼び名に違和感があるのは、造られた後に言い伝えが変化してしまった事が理由のようです[8]。

もともとは弥勒菩薩として造られたようなのです[9]が、平安時代以降から伝えられている中宮寺縁起という寺伝が書かれた書物に、如意輪観音であると記されているのです。そのため正式な呼び名としてもそのまま如意輪観音と呼ぶのではなく、「菩薩半跏思惟像(伝如意輪観音)」と表現されているのです。

 

この像が如意輪観音像と伝えられるようになったのは恐らく、聖徳太子如意輪観音の化身とする言い伝えが影響しているのかもしれません。制作時代もよく分かっておらず、中宮寺建立の飛鳥時代からあるとか、繊細な表現はもう少し後の白鳳時代のものだとか諸説あり、謎が多い像です[1] 。

像のサイズにも聖徳太子への信仰が見られます。中宮寺の半跏思惟像は87.9cm、釈迦如来坐像(法隆寺金堂、釈迦三尊像の中尊)の87.5cmとほぼ同じです。これは尺寸王身と言って聖徳太子の等身のサイズで造られているもので、ここから計算すると聖徳太子の身長は170cm以上だった事になります。昔の日本人にしてはかなり高身長ですね(2021年2月, 九州国立博物館, 中宮寺の国宝, キャプションより)

中宮寺は、飛鳥時代に、聖徳太子が母、間人皇女(はしひとのひめみこ)の願いで建てた尼寺です。室町時代から宮家の女性も迎えるようになったため、天皇ゆかりの品々が数多くあります。

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表情 

飛鳥時代あたりに造られた仏像にはアルカイックスマイル※と呼ばれる、僅かに微笑んだ表情を浮かべたものが殆どですが、この像の微笑は特に素晴らしく、モナリザスフィンクスと並んで世界三大微笑のひとつとして高く評価されています。中宮寺門跡の言い伝えによるとこの像は聖徳太子の母后に似せたものだと言います。女性がモデルと聞いても納得できる、どこか女性的な雰囲気も感じられます。

※アルカイックスマイル…古典的微笑と訳されます。古代ギリシャのアルカイック美術が由来。全体的に感情表現が抑えられ、口元は微笑んでいる表情を指します[8]。

 

寄木造

樹の種類はクスノキで、これは7世紀の殆どの木彫仏と同じですが、組み立て方がかなり特殊になっています。寄木造という、部品のように木を組み合わせた作り方なのですが、このような作り方が主流になったのは300年も後の事であり、かなり珍しい方法で造られています。そのため、寄木造の仏像の中では世界最古となっています[6]。

 

寄木造というのはより繊細な表現を可能にする技術です。右肩には頬に当てる指の角度を調整するためか、当て木が仕込まれていますこんなに細い首を実現できたのも、基部の中心の心棒の上に、前後にわけて造った頭部を乗せることで可能にしたようです。

他にも小材が多く使われていて、細かい調整がなされ、より理想に近く繊細な表現が可能になったのでしょう [1] 。仏像制作の始まった7世紀初めらしい厳かな表現と、後半(白鳳時代)の柔らかい柔和な表現が合わさった繊細さと上品さを合わせ持った仏像になっています。

 

寄木造という造り方は後の時代に主流になったのですが、それは300年も後のこと。この像がお手本となった訳ではないようです。それと言うのも、この像は組み合わせ方がかなり特殊なのです。いくつかの木の部品を鉄釘で組み合わせているのですが、前後半分に分かれていたり、段差になっていたりと、破片を無理につなぎ合わせたような構造になっており、これは後々主流となった規則的な寄木造とは大いに異なります。[1][9]

 

このように複雑になってしまった理由には諸説あるのですが、中でも筆者が納得したのは、使う木が由緒ある霊木などで、その木を十分な大きさの像にするために、パズルのような組み合わせにせざるを得なかった、という説でした。[1] 霊木信仰といって、木に宿る精霊を大切にしていた時代背景と、この作り方が広まらなかったことを考えると、腑に落ちる説ではないでしょうか。仏像修理・修復の専門家、辻本干也は、木の合わせ目等を研究し、漫画にも描いたような組み方をしたのだろうと論じています。頭は前後に分かれていて、台座と腰の間などは怪談のようにギザギザになっているのがわかります[5]。

f:id:artrat:20210302012253j:image出典元: [1]

f:id:artrat:20210302012306j:image出典元:[9]

 

組み立て方も特殊でしたが、蓮の上に置かれた左足にも謎が浮かびます。この像は左足と、足場である蓮の間に隙間があります。踏み座があるのに足をついていないのは少し不思議ですが、足を見ればその理由がわかるようです。一説ではありますが、よく見ると一歩踏み出す前のように少し反っていて、ちょうど蓮の花に向かって一歩踏み出す途中を表現しているのではないか、という見方です。つまり人々を救うために地上に降臨した瞬間を表しているというのです[6]。

 

物語性にロマンを感じる説がある一方で、そもそも踏み座が想定されていなかったのでは、という説もあります。法隆寺献納宝物(東京国立博物館)の一五九号は、似た姿勢ですが、台座は綺麗に像の周囲で完結しており、踏み座を想定するには不自然です。そのため、中宮寺の像も踏み座が無かったからなのではないか、という説もあります。[1]

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光背 

因みに後光を表している光背という部分にも細かい模様があり、蓮の茎に囲まれた蓮華の花を中心として、周りには雲の中に仏様が何体も彫られています。細い板のような薄さですが、しっかり彫られています。写真では見づらいかもしれませんが、実物を間近で見ると、凹凸が今でもはっきり残っていました。

 

ヘアスタイル

頭の上の二つのお団子は双髻(そうけい)と言います。そこから垂髪(すいはつ)と呼ばれるおくれ毛が垂らされていてそれが所々カールしている箇所(蕨手)の表現も見られるため、合わせて「蕨手型垂髪」(わらびてがたすいはつ)とも呼ばれています[6]。

 

採色

現在は漆が露出していて全身黒色ですが、造られた当時は錆漆(土を漆に溶いたもの)、黒漆、白土(白色粘土)の順に塗り重ねた下地の上に彩色も施されていました。[1]

僅かな痕跡から体は肌色、衣に朱、台座に緑青が使われていたことは確実で、意外とカラフルだったことが伺えます[10]。後ろの光背にも赤や青などが塗られていたようです。

額や腕に釘穴が残っている箇所から、宝冠、腕輪、胸飾り、腹当など、装身具も沢山身につけられていたことが分かっています[8]。

 

博物館で実物を見た感想

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中宮寺の像は2021年3月21日まで、九州国立博物館で特別展示が開催されています。(※感染症対策のため事前予約推奨です)筆者も予約の上、朝一で見に行きました。かなり下調べをしてから言ったので、その魅力を余すところなく楽しめたと思います。

特に行ってよかったと思ったのは、寄木造りならではの木のすき間がはっきり見られたことです。特に左半身は木の合わせ目がはっきり見えて興味深かったです。実はうっすら目が開いているのもよく見えました。

機会がある方は、左足の裏を見てみてください。うっすらですが、他の場所より色が明るいのがはっきり見えます。博物館では高い台に展示されていたので、少し屈むだけで見えました。ほかにも釘の後、蕨手の髪など、記事で紹介したところを間近で見ることができました。展示概要を引用しておきます。

会 期:2021年1月26日(火)〜3月21日(日)

 休館日:月曜日

 開館時間:9時30分〜17時00分(入館は16時30分まで)

 観覧料:

一 般 1,800円

高大生 1,200円

小中生 800円

https://www.kyuhaku.jp/exhibition/exhibition_s59.html (引用元)

 

広隆寺弥勒菩薩

中宮寺の半跏思惟増と比べたいのが、広隆寺の半跏思惟像。

国宝、それも国宝第一号に登録されています…とは言っても、1という数字が凄いわけではないようです。筆者ははじめ、ランキングが1位なのかなと思ったのですが、北の県から順に登録していったというだけで数字が特別なわけではないようです。

豪族が聖徳太子のために建てたという当時から、変わることなく本尊として祀られています。中宮寺の半跏思惟像に比べると全体的に前傾姿勢で頭部の比率が大きめです。像高は123.3cm、坐高は84.2cmと、中宮寺の像とあまり変わりません(像高132cm 坐高87.9cm)。

彫りが簡潔ですが、それ故にシンプルな表現ならではの静けさがあり、上品で素朴な雰囲気です。

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一木造

この像はなんと、宝冠のてっぺんから台座まで、すべて一本の松の木から彫り起こされた一木造りです。1956年にX線で撮影したところ、指以外の全身が一本の木から彫られている事が明らかになりました。ただし人差し指と小指のみ途中で壊れてしまったのか、全く別の木で修復されたものだ、という事が分かりました。それでも、当初は指まで一木造だったのだろうと思うと驚きです。

 

細すぎる指の違和感

しかし、技術が素晴らしいとは言え、この指はあまりに細すぎるのではないか、という意見がありました。指は後の時代に修理されていることもあり、別人が作ったために少々違和感のあるつくりになったのだろう、という推測もありましたが、疑問は完全には無くなりませんでした。細さだけでなく頬との隙間は7ミリと、はっきり見えるほど離れているのも他の像と違います。飛鳥、白鳳時代の多くの半跏思惟像は指が頬に触れていることからも、広隆寺の像も元々指は触れていたと考える方が自然なのです。

こういった違和感から新たな説が生まれました。

美術院の西村公朝氏が、本来は全身に木屎漆が塗られていて全体的にもっとふっくらした見た目であった、との説を唱えたのです。つまり指、頬それぞれ数ミリずつ分厚く盛り上がっており、7ミリの隙間は完全に埋められていた、というのです[2-2]。明治修理前の宝冠弥勒像安置写真というものがあるのですが[3]、やはり現在の姿より曲線が目立つように思います


昔は金ピカだった?

漆の上に金箔も貼られていたようで、全身黄金に輝いていました。今もその痕跡は肉眼でもわかるようです。後ほど記述しますが、大正時代の展覧会では金箔が貼られていることはもっと有名だったようなので、もっとはっきり残っていたのかもしれません。中宮寺の半跏思惟像のように頭光も置かれていたようです。


有名にした写真

漫画にも書いたように、広隆寺弥勒菩薩は半跏思惟像の中でも1位を争うほど有名なのは間違いないのですが、実は今ほど有名になったのは1900年代になってからで、意外と最近のことなのです。それまでは広隆寺のもう一つの弥勒菩薩像、宝髻弥勒像のほうが有名でした。
有名になった発端の出来事は2つあるのですが、中でも大きなきっかけは、像の美しさを見事に捉えた一枚の写真でした。その写真は小川春陽の撮影で、古美術研究誌「仏教美術」(※)の記念すべき第一号(大正13年/1924年)の巻頭に載せられたものです。少し俯いた静かな微笑、カーブした細い指や鼻筋などの各部分の美しさを巧みに捉えています[7]。
これで像の美しさが知れ渡っていた先にとある不幸な事件が起き、結果的に、その名はさらに知れ渡ることとなったようです。今は知る人も少ないですが、実はこの繊細な薬指を折られてしまった事があるのです。

※小川春陽が創業した飛鳥園という文化財撮影で有名な写真館から発行されていた。


弥勒菩薩の指折り事件

事件が起きたのは、昭和35年(1960)8月18日。

犯人は大学生で、午後一時頃ちょうど監視人がいなかったのをいい事に台にあがり、像に触れました。そこから降りるときに顔が指に当たってしまい、薬指は三つに割れてしまったのです。動揺した犯人は一旦その場を去りましたが、その日の夕方に自首したので犯人探しはすぐに終わりました。指を折ったのはわざとではなく事故だったようです。


当人に取材したという朝日新聞によると、「金パクがはってあると聞いていたが、木目も出ており」、金色が剥げかけてホコリも溜まっている姿が期待外れで「これがホンモノだろうか」と感じ、監視人が居なかったため「いたずら心が起こった」と供述しており、単なるいたずら心で触れ、誤って折ってしまった、というのが指折り事件の全貌だったようです。


衝撃的な事件で新聞記者たちはこぞって記事にしたのですが、他の何社かは、あまりの美しさに陶酔して思わず台に登ってキスした時、誤って指に当たってしまった、

なんていうロマンチックな話をでっち上げたようです[7][2-1]

本人への取材とかけ離れていて、話題性のためにでっち上げた感がありますね。物語であれば面白いのですが。

 

まとめ

今回は広隆寺中宮寺、二つの半跏思惟像のちがいをまとめてみました。かなり色んな記事を読んで回ったので、大体網羅しているはずだと思います。

中宮寺の呼び名の不思議、あの唯一無二の美しさはどこから来るのか、おわかりいただけたでしょうか。広隆寺弥勒菩薩は、一度指がおられていたなんて驚きですよね。二体とも全身真っ黒か黄土色で、質素なイメージがありますが、実は昔は豪華な色や装飾で飾られていた、というのも面白いです。

この美しいどちらかの像を間近で見る幸運に恵まれたら、ぜひこの違いに着目してみてください。歴史を知っていると、何倍も楽しめるはずです!

 

 

参考文献

[1] agata107 2017年2月23日 中宮寺国宝菩薩半跏像」 新美術情報2017

http://kousin242.sakura.ne.jp/wordpress016/%e7%be%8e%e8%a1%93/%e7%be%8e%e8%a1%93%e5%8f%b2/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e7%be%8e%e8%a1%93/%e9%a3%9b%e9%b3%a5%e3%83%bb%e7%99%bd%e9%b3%b3%e6%96%87%e5%8c%96%e6%9c%9f/%e4%b8%ad%e5%ae%ae%e5%af%ba%e5%9b%bd%e5%ae%9d%e8%8f%a9%e8%96%a9%e5%8d%8a%e4%bc%bd%e5%83%8f/

[2-1] 観仏日々帖 2017年5月20日こぼれ話~「広隆寺弥勒菩薩の指の話I」仏像の手の話④ https://kanagawabunkaken.blog.fc2.com/blog-entry-136.html

[2-2] 観仏日々帖 2017年5月20日こぼれ話~「広隆寺弥勒菩薩の指の話Ⅱ」仏像の手の話④ https://kanagawabunkaken.blog.fc2.com/blog-entry-137.html?sp

[3] 久野健(1996)「古代朝鮮仏と飛鳥仏」

[4] 古都奈良の名刹寺院 https://www.eonet.ne.jp/~kotonara/bosatuzou-1.htm

[5] 辻本 干也, 青山 茂の南都の匠仏像再見 (1979年)

[6] 東京国立博物館(2005)「中宮寺 国宝 菩薩半跏像」 https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=243&lang=ja

[7] 東京国立博物館(2016) 日韓国交正常化50周年記念 特別展「ほほえみの御仏―二つの半跏思惟像―」https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1792

[8] 西木政統 2016年06月29日 東京国立博物館「ほほえみの御仏」とトーハクの半跏思惟像 https://www.tnm.jp/modules/rblog/index.php/1/2016/06/29/ほほえみ展/

[9] 日々是古仏愛好 https://kanagawabunnkaken.web.fc2.com/index.files/raisan/shodana/shodana117.htm

 

[10]新関伸也、神林恒道 (2008年7月) 日本美術101鑑賞ガイドブック p.18, 19

神社の感染症対策。コロナを逆手にとった美しい手水!

神社は去年行って以来なので分かりませんが、恐らくどこの神社も、コロナ対策で手水って使用禁止になっていますよね。

あの水で手を洗う冷たさや、反射する景色などが好きだったので残念に思っていたのですが、むしろそれを逆手にとって何ともおしゃれな空間を演出している神社を見つけました。

見てください、立ち入り禁止にするのでなく、貯めた水にお花を浮かべることで手を洗わないようにしています!

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そして竹から何筋も水が流れ続けるようにして、お客さんはどこにも手を触れなくていいという隙のない感染症対策!!

考えた人はかなりのキレ者ですね。

 

手水に色とりどりの花が浮かべてあって綺麗ですね。
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景色の渋さと花の鮮やかさが見事に調和しています。色のチョイスもセンスが素晴らしいです。落ち着いた場所なのにインスタ映えますね!

 

感動して写真も沢山撮ったのがこれです。
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竹から出てる水がいい感じの小道具みたいになってくれました。

どうしたら思いつくんでしょうかこんなの…他の神社もやってたら凄いですね。頻繁に行ける時勢ではありませんが。

(感染症対策のため神社名は控えます。収まったら記事を更新するかもしれません)

 

コロナ蔓延で客としてあまり出歩けないのもそうですが、人を受け入れる側も対策には悩んでいるはずですよね。

その中で対策に気を遣いながら、楽しさも提供する姿勢は見習いたいものです。