トリックアート紹介シリーズ第三弾は
福田繁雄氏 (1932〜2009)です。
「日本のエッシャー」と名高い福田繁雄は、万博のポスターに入選、東京藝術大学教授、日本グラフィックデザイナー協会の会長を務めるなど、超有名大物デザイナー。
隠し絵などのトリックをしかけるのが巧みで、単純なイメージで奥深い意味を持たせたデザインは知的な皮肉に富んでいて見ていて飽きません。
手掛けたデザインも一般的なデザイナーとは一線を画していて、企業に提供した商業デザインより展覧会やコンサートのポスターだけでなく、大規模な彫刻作品も手掛けるなど、かなり芸術肌のデザイナーでした。
略歴
東京都出身ですが疎開をきっかけに岩手県で中学高校時代を過ごしたため、岩手県二戸市には福田繁雄デザイン館が建てられ、彫刻も含め数々の作品が展示されます。
1956年 東京芸術大学図案科卒業
1967年 日本万国博覧会公式ポスター指名コンペ入選
1975年 ワルシャワ戦勝30周年記念国際ポスターコンクール大賞
2000-2009 日本グラフィックデザイナー協会会長[3]
万国博覧会で活躍
1970年、福田繁雄は日本万国博覧会 EXPO’70 の公式ポスターをデザインした一人となりました。メインテーマ「人類の進歩と調和」のもと開催されたこの万博は1960年代からの高度経済成長のピークに辺り、日本にとって重要な一大イベントでした。
入場者数6.421万人を記録したこのイベントのため、複数製作したデザインのうち2点が公式採用され、迷子標識などのピクトグラム(絵文字)デザインも担当しました。
福田繁雄(1970)ピクトグラム(全27種) 引用:http://kousin242.sakura.ne.jp/maruhei/fff/日本/大阪万博/デザイン懇談会/
1つ目では、5大陸を象徴する円球が地球を囲み、六つの影が万博のロゴマークとなっています。 引用: [2]
2つ目は万国旗をイメージしたカラフルな肌の上に、EXPO’70という立体的な文字が浮かびんでいる、迫力のあるデザインです。
明快で遊び心のあるポスターは国際的なイベントを巧みに視覚化することに成功しており、世界に福田繁雄を印象づけました。[1]
なんと手作業!
今はデザインと言えばAdobeIlustrator、パソコンなしでのデザインなんて考えられませんが、福田繁雄は全て手作業でのデザインを続けました。上で紹介した二つ目の万博のデザインも、高さを変えて木工制作した立体の文字を撮影したものです。 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
作品再作だけではなく、生活においてもインターネットも、電子メールも利用しなかったというから驚きです。仕事のスタイルも変わっていて、売れっ子デザイナーとは珍しくマネジメントも、アシスタントすら持ちませんでした。 む 。。。。。。。。。。。。。。。。。
それでは仕事に追われ苦しいのではないか、と思いましたがその反対で、
「こんな面白いコトをどうして他人に任せられますか。もったいないよ。自分が楽しまなくっちゃ」(福田繁雄『DESIGN才遊記』[DNPアートコミュニケーションズ、2008]、11頁)
と言っており、作品だけでなく仕事の仕方でも楽しむことを大切にしていたようです。[2]
作品紹介
デザイナーとして駆け出した初期は味の素に勤務(1956-58頃) していました。フリーデザイナーとなり(1958)、1960年半ばからだまし絵のトリックを使った作品が登場し始めます。
福田繁雄《NO MORE》(1968)引用:[2]
骸骨を形作る無数の爆弾…これ、なんとコピペではなく、切り抜いた1286枚もの爆弾型の紙を一つひとつ貼るという、気の遠くなるような作業で作られているのです。
その爆弾で黒い背景を作ることで、背景と柄の両方が意味を持ち、戦争と死というメッセージが強く伝わってきます。[1]
非常にシンプルなデザインでありながら深いメッーセージ性を持つ代表作《VICTORY 1945》。
「ポーランド戦勝30周年記念国際ポスターコンペ」でグランプリを受賞した本作は弾丸を打ち出したはずの大砲に弾が戻り、今にも破壊してしまいそうです。
背景いっぱいの黄色と黒は標識などで警告として使われる色。深い知識がなくとも戦争は自国をも傷つけるのだ、という警告のメッセージが読み取れます。[2]
福田繁雄《ランチはヘルメットをかぶって...》(1987)撮影: Photo Courtesy of Shizuko Fukuda 引用:https://www.bunka.pref.mie.lg.jp/art-museum/65696039499.htm
題名にランチとある通り、本体は大量の食事用のフォーク、スプーンとナイフ計848本が溶接された巨大な塊です。その影は光の角度によって、実物大のオートバイを映し出すのです。
その影のリアルさを裏付けるエピソードとして、「このオートバイの影は本当の影ではなく、床に描いているのではないか」と質問した観客もいたそうです。
タイヤの凹凸までも再現されていて本物のバイクをコピーしたかのように見事です。[1]
三次元ではありえないはずの建造物、M.C.エッシャーの絵の立体化に成功しました。
福田繁雄《落ち続ける滝〈三次元 エッシャーNo.2〉》(1985)引用:[2]
格子状の太線で描かれた地球は、福田繁雄がよく使ったモチーフでした。この作品は人の手が地球と一体化し、ずれてしまった線を直そうとしています。そして下の「HIROSHIMA」の文字と腕の角度が共鳴していて、広島から平和を発信しているのだと分かります。[1]
もはやロゴマークかと思うほどシンプルな故に、見た瞬間強く伝わってくるメッセージはさすがです。
福田繁夫が2000-2009年まで会長を務めたJAGDA(日本グラフィックデザイナー協会)は1983-89年まで広島国際文化財団と共同し、平和運動として所属デザイナーが「ヒロシマ・アピールズ」のキャッチコピーに従ってデザインしたポスターを発表する、という運動を行っていました。[1]
※1990年からこの運動は中断されていましたが、福田が会長だった2005年から広島被爆60年を機に再開されています。[1]
遊び心の大切さ
デザイナーがあまり使用するイメージのないだまし絵を、福田繁雄は頻繁に利用しました。この遊び心ある数々のしかけは、生活には「遊び」が必要だ、という彼の信条があってこそなのです。
「『遊び』は機能性と合理性に埋まった現代生活に欠くことができない人間の心のためのデザインという、必然性がある」[4]
機能性と合理性、その言葉の反対にある「遊び」。商業と関わりの深いデザインにおいて、遊びの必要性を主張するための手段こそが遊び心満載のトリックだったのです。
参考資料
[1] 新川徳彦(2011.10.15) 人間の生活を楽しくゆたかにするデザインを求めて(「ユーモアのすすめ──福田繁雄大回顧展」レビュー)https://artscape.jp/focus/10012931_1635.html (2021年7月4日にアクセス)
[2] Design Site (n.d.) 福田繁雄の多様なデザイン http://kousin242.sakura.ne.jp/maruhei/fff/日本/グラフィックデザイナー/福田繁雄/392-2/ (2021年7月4日にアクセス)
[3] 東京文化財研究所 (2014) 福田繁雄 https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28440.html (2021年7月4日にアクセス)